2015年07月01日
一粒千円のイチゴはなぜ売れる?被災地発のブランド化戦略とは
東日本大震災の津波で大きな被害を受けた宮城県山元町に、一粒千円の高値が付くイチゴを
生産する会社がある。とちおとめなど一般的に栽培されている品種でありながら、収穫されたイチゴは
毎年一流百貨店に並び、作り切れないほどの量の注文が入るという。
今年からは夏イチゴの生産が始まり、7月には伊勢丹新宿本店の店頭に並ぶ予定だ。震災で
イチゴ農地の95%が被害を受けた被災地・宮城県山元町から生まれた、ブランド化戦略とはー。
■被災地から生まれた「食べる宝石」
ヘタのついた真っ赤なイチゴが1個、丁寧に緩衝材に包まれ、可愛らしいロゴの付いた透明のケースに
収まっている。イチゴを1個単位で売る「プラチナ1個入り」は千円。イチゴがアクセサリーのように
ぎっしりときれいに箱の中に並ぶ「プラチナ6個入り」は5千円、12個入りは8千円ー。
「ミガキイチゴ」シリーズは、「食べる宝石」のキャッチコピーで販売されている高級イチゴだ。
「ミガキイチゴ」を生産しているのは、東日本大震災で被災した宮城県山元町にある株式会社GRA。
2012年に設立されたベンチャー企業で、もともとの母体は震災後に山元町出身の岩佐大輝社長が
立ち上げた復興支援ボランティア団体だ。ITコンサルタントだった岩佐社長らメンバーに当時、イチゴ生産の
知識や経験は全くなかったが、町の税収のほとんどを占めていた名産品・イチゴで町の経済復興を
達成しようと、農業生産法人としてイチゴの生産にとりかかった。
会社としてまず行ったのが、イチゴ生産のIT化だ。山元町で40年以上イチゴを栽培してきたベテラン農家の
監修のもと、イチゴハウスの中でどのようなときに水を与えればよいか、エアコンを付ければよいか、天窓を
開けたらよいかーなどのハウス内の状態を、すべて数値で記録。ベテラン農家のノウハウからデータを集積し、
そのときどきに合わせて室内の気温や二酸化炭素の濃度、水やりなどを機械が自動で管理できるIT化を
進めた。これまで限られた職人が付きっ切りで栽培しなければできなかったイチゴの生産を、ある程度の
基準まで機械で行うことが可能となった。
■「人の情緒に訴える商品を」
次に手がけたのが、イチゴのブランド化だ。「今までイチゴの値段は、大きさ、色、形、甘さといった機能的
価値で決まってきた」と、同社の財務・営業統括の塔本幸治さんは語る。「ミガキイチゴ」は品種の名前では
なく、品種自体は栃木発祥の「とちおとめ」や宮城の「もういっこ」。一定の水準を満たした甘さや大きさの
よいものを厳選してはいるものの、それだけでは福岡の「あまおう」や栃木の「スカイベリー」など、知名度が
高く味に定評のある商品に勝てない。
そこで考えたのがまず、商品コンセプトを自分で食べるものから「人に贈るもの」に変えることだった。
「贈答用となると、人が買うときの判断基準も、甘さや大きさといった機能的価値から、パッケージの
おしゃれさや商品を開いたときの美しさなどに変わってくる。人の情緒に訴えることで、今までどこにもない、
替えのきかない商品になった」と、塔本さんは説明する。
「開けたときワーッとなることを大切にしている」という商品パッケージは、大手広告代理店の社員が
プロボノ活動(職業専門性を生かしたボランティア)として手がけたもの。イチゴのケースには宝石の
ロゴマークが施され、「ミガキイチゴ」との名前も付けた。
イチゴの「見せ方」にはこだわりがある。同じ大きさのものをぎっしりきれいに敷き詰め、ヘタの付近にも
白いところがないよう、実がすべて真っ赤になってから収穫。極力実を手で触れない摘み方で収穫し、
輸送中にも痛まないよう、イチゴは一つ一つ緩衝材で包まれている。
20〜30代の働いている女性にターゲットを定め、ブロガーの女性などを集めてお披露目パーティーも開いた。
こうして誕生した「ミガキイチゴ」は、2012年冬から出荷を開始。
伊勢丹新宿本店での取り扱いを打診したところ、店頭で1個千円の値段で販売されることが決定した。
「ミガキイチゴ」はそれから例年伊勢丹の各店舗で販売されるようになり、地元宮城県の百貨店・藤崎や
仙台空港などでも取り扱われるように。今年からは夏イチゴの生産も始まり、7月には新宿伊勢丹本店に
「ミガキイチゴ・サマーエディション(仮)」が並ぶ予定だ。
■下りエスカレーターを駆け上がっていく
東日本大震災の津波で、イチゴハウスの95%が被災する壊滅的被害を受けた宮城県山元町。その被害から
立ち上がって生まれた「ミガキイチゴ」だが、「被災地の商品である」ことは前面に出さず、ケースに「MADE
IN YAMAMOTO」と書かれているのみだ。塔本さんはその狙いを、「被災地だからという理由で買われる
商品は長続きしない。お客さんが物自体の価値を認めて購入して、あるとき被災地であることに気づく、という
順序にしたかった」と説明する。
同社はこれまで得たイチゴのIT栽培でのノウハウを生かし、インドでのイチゴ生産や、山元町でのイチゴ
農家への新規就農支援も始めている。今後の目標は、ミガキイチゴの生産者を増やし、山元町に1万人の
雇用を創出することだ。「ミガキイチゴ」はITでイチゴ栽培をしているため、同社のノウハウを提供すれば、
農家としての特別な技術と知識がなくてもある程度の基準のイチゴを栽培できるという。同社はイチゴ生産への
新規参入者を増やし、町を「ミガキイチゴ」ブランドの一大産出拠点にする大きな夢を掲げている。
「震災後に深刻な人口流出が進んでいる町は、下りのエスカレーターのよう。町が成長するためには、
その下りのエスカレーターを駆け上がっていくスピードが必要なんです」と、塔本さん。
イチゴビジネスを手がける若き企業が、町の復興の鍵を握っている。
本日の担当:沼津店 山崎 (マイナビニュースより)
生産する会社がある。とちおとめなど一般的に栽培されている品種でありながら、収穫されたイチゴは
毎年一流百貨店に並び、作り切れないほどの量の注文が入るという。
今年からは夏イチゴの生産が始まり、7月には伊勢丹新宿本店の店頭に並ぶ予定だ。震災で
イチゴ農地の95%が被害を受けた被災地・宮城県山元町から生まれた、ブランド化戦略とはー。
■被災地から生まれた「食べる宝石」
ヘタのついた真っ赤なイチゴが1個、丁寧に緩衝材に包まれ、可愛らしいロゴの付いた透明のケースに
収まっている。イチゴを1個単位で売る「プラチナ1個入り」は千円。イチゴがアクセサリーのように
ぎっしりときれいに箱の中に並ぶ「プラチナ6個入り」は5千円、12個入りは8千円ー。
「ミガキイチゴ」シリーズは、「食べる宝石」のキャッチコピーで販売されている高級イチゴだ。
「ミガキイチゴ」を生産しているのは、東日本大震災で被災した宮城県山元町にある株式会社GRA。
2012年に設立されたベンチャー企業で、もともとの母体は震災後に山元町出身の岩佐大輝社長が
立ち上げた復興支援ボランティア団体だ。ITコンサルタントだった岩佐社長らメンバーに当時、イチゴ生産の
知識や経験は全くなかったが、町の税収のほとんどを占めていた名産品・イチゴで町の経済復興を
達成しようと、農業生産法人としてイチゴの生産にとりかかった。
会社としてまず行ったのが、イチゴ生産のIT化だ。山元町で40年以上イチゴを栽培してきたベテラン農家の
監修のもと、イチゴハウスの中でどのようなときに水を与えればよいか、エアコンを付ければよいか、天窓を
開けたらよいかーなどのハウス内の状態を、すべて数値で記録。ベテラン農家のノウハウからデータを集積し、
そのときどきに合わせて室内の気温や二酸化炭素の濃度、水やりなどを機械が自動で管理できるIT化を
進めた。これまで限られた職人が付きっ切りで栽培しなければできなかったイチゴの生産を、ある程度の
基準まで機械で行うことが可能となった。
■「人の情緒に訴える商品を」
次に手がけたのが、イチゴのブランド化だ。「今までイチゴの値段は、大きさ、色、形、甘さといった機能的
価値で決まってきた」と、同社の財務・営業統括の塔本幸治さんは語る。「ミガキイチゴ」は品種の名前では
なく、品種自体は栃木発祥の「とちおとめ」や宮城の「もういっこ」。一定の水準を満たした甘さや大きさの
よいものを厳選してはいるものの、それだけでは福岡の「あまおう」や栃木の「スカイベリー」など、知名度が
高く味に定評のある商品に勝てない。
そこで考えたのがまず、商品コンセプトを自分で食べるものから「人に贈るもの」に変えることだった。
「贈答用となると、人が買うときの判断基準も、甘さや大きさといった機能的価値から、パッケージの
おしゃれさや商品を開いたときの美しさなどに変わってくる。人の情緒に訴えることで、今までどこにもない、
替えのきかない商品になった」と、塔本さんは説明する。
「開けたときワーッとなることを大切にしている」という商品パッケージは、大手広告代理店の社員が
プロボノ活動(職業専門性を生かしたボランティア)として手がけたもの。イチゴのケースには宝石の
ロゴマークが施され、「ミガキイチゴ」との名前も付けた。
イチゴの「見せ方」にはこだわりがある。同じ大きさのものをぎっしりきれいに敷き詰め、ヘタの付近にも
白いところがないよう、実がすべて真っ赤になってから収穫。極力実を手で触れない摘み方で収穫し、
輸送中にも痛まないよう、イチゴは一つ一つ緩衝材で包まれている。
20〜30代の働いている女性にターゲットを定め、ブロガーの女性などを集めてお披露目パーティーも開いた。
こうして誕生した「ミガキイチゴ」は、2012年冬から出荷を開始。
伊勢丹新宿本店での取り扱いを打診したところ、店頭で1個千円の値段で販売されることが決定した。
「ミガキイチゴ」はそれから例年伊勢丹の各店舗で販売されるようになり、地元宮城県の百貨店・藤崎や
仙台空港などでも取り扱われるように。今年からは夏イチゴの生産も始まり、7月には新宿伊勢丹本店に
「ミガキイチゴ・サマーエディション(仮)」が並ぶ予定だ。
■下りエスカレーターを駆け上がっていく
東日本大震災の津波で、イチゴハウスの95%が被災する壊滅的被害を受けた宮城県山元町。その被害から
立ち上がって生まれた「ミガキイチゴ」だが、「被災地の商品である」ことは前面に出さず、ケースに「MADE
IN YAMAMOTO」と書かれているのみだ。塔本さんはその狙いを、「被災地だからという理由で買われる
商品は長続きしない。お客さんが物自体の価値を認めて購入して、あるとき被災地であることに気づく、という
順序にしたかった」と説明する。
同社はこれまで得たイチゴのIT栽培でのノウハウを生かし、インドでのイチゴ生産や、山元町でのイチゴ
農家への新規就農支援も始めている。今後の目標は、ミガキイチゴの生産者を増やし、山元町に1万人の
雇用を創出することだ。「ミガキイチゴ」はITでイチゴ栽培をしているため、同社のノウハウを提供すれば、
農家としての特別な技術と知識がなくてもある程度の基準のイチゴを栽培できるという。同社はイチゴ生産への
新規参入者を増やし、町を「ミガキイチゴ」ブランドの一大産出拠点にする大きな夢を掲げている。
「震災後に深刻な人口流出が進んでいる町は、下りのエスカレーターのよう。町が成長するためには、
その下りのエスカレーターを駆け上がっていくスピードが必要なんです」と、塔本さん。
イチゴビジネスを手がける若き企業が、町の復興の鍵を握っている。
本日の担当:沼津店 山崎 (マイナビニュースより)
Posted by 保険カンパニー at 17:54│Comments(0)